西上寛の日々ブログ

闘茶ってご存知ですか?

2016/06/03

1331年(元弘元年)の元弘の乱から 建武の新政の崩壊を受けて 足利尊氏が新たに光明天皇(北朝側)を擁立したのに対抗して京都を脱出した後醍醐天皇(南朝側)が吉野行宮に遷り 南朝第4代の後亀山天皇が北朝第6代の後小松天皇に譲位するかたちで両朝が合一を見た1392年(元中9年/明徳3年)までの61年間を日本の歴史上『南北朝時代』と呼ばれます
その頃 流行った大人の遊びの一つで『闘茶』と呼ばれるものがありました 簡単に言うと お茶の味や産地を当てる遊びで 上流階級では賭け事として遊ばれました

鎌倉時代に宋(中国)から茶の種をお持ち帰った 臨済宗の開祖 栄西が 友人である明恵(みょうえ)上人にお茶の種を預けて 京栂尾(とがのお)高山寺にに明恵上人がその茶の種を蒔いて茶園を作ったところから京の茶が始まったのですが その栂尾で生産されたお茶を 当時「本茶」と呼ばれました
そして栂尾以外のお茶を「非茶」と呼ばれました
最初の闘茶は その本茶と非茶を当てることから始まったそうです

その後 宇治に茶園が広がると 宇治のお茶も「本茶」と呼ばれるようになりました そうなると 闘茶の方法も変わっていきました
闘茶の全盛期であった南北朝時代から室町時代初期にかけて最も盛んに行われたのが 四種十服茶(ししゅじつぷくちゃ)と呼ばれるもので 「種茶」と呼ばれる3種類と「客茶」と呼ばれる1種類の計4種類のお茶で遊びました
その方法は次の通りです まず種茶を点てた3つに「一ノ茶」「二ノ茶」「三ノ茶」と名前を付けて 参加者にそれぞれ試飲させて味と香りを覚えてもらいます
次に種茶3種類からそれぞれ3つの袋 試飲に出さなかった客茶1種類から1つの袋の合計10袋の茶袋を作って そこから点てた10服分の茶を順不同に参加者に飲んでもらいます。
参加者はその10服の茶が最初に試飲した「一ノ茶」「二ノ茶」「三ノ茶」のうちのどれと同じものか もしくは客茶であるかを回答して その正解が最も多い人が勝者となる というものでした

中にはこの四種十服茶を複数回行う場合もあり 南北朝の頃の「バサラ大名」佐々木道はの「百服茶」(「百種茶」とも)といわれる10回分の勝負を行った(10服×10回=100服)という記録が残っており 徹夜で楽しんだそうです 現代なら さしずめ徹夜で麻雀するようなものでしょうか

今では お茶で賭け事するようなことはありませんが 産地や品種を覚えるのに闘茶っぽいことをすることがあります

時代によって遊び方は違いますが 徹夜してまで遊ぶことってあったんですね

今回も最後までお読みいただき ありがとうございます(多謝)

【おまけ】
2016新茶
茶のみ には 現在12産地の新茶があります
新茶の闘茶ではなく 聞き茶会を7月に開催しようと思います